金沢家庭裁判所 平成12年(少)671号 決定 2000年10月18日
少年 D・T(昭和55.10.25生)
主文
本件各事件については、少年を保護処分に付さない。
理由
1 本件各送致事実の要旨は、
「第1 少年は、指定暴力団○○組組員であるが、A、B、Cと共謀の上、前記BとD(当時32歳)が携帯電話で口論となったことで暴行を加えることを企て、平成12年6月8日午前2時20分ころ、金沢市○□町×丁目×番×号所在の○□町××3階深夜飲食店「□□」前通路において、いきなりガラス瓶のようなもので同人の頭部を殴打し、こもごも手拳で同人の頭部、顔面、胸部等を殴打、足蹴りする等の暴行を加え、金沢市○△町××番地×所在の「□△」裏道路上に同人を連行し、同日午前2時40分ころ、同所において、前記A及びB並びに少年が手拳で同人の顔面、胸部等を殴打、足蹴りする等の暴行を加え、金沢市△○×丁目×番××号所在の暴力団○○組事務所に同人を連行し、同日午前3時過ぎころ、同所において前記Bが手拳で同人の顔面を数回殴打する等の暴行を加え、よって同人に全治2か月を要する外傷性血気胸、左肋骨骨折、頭部・顔面裂傷の傷害を負わせた
第2 少年は、平成12年6月13日午前10時45分ころ、石川県小松市△□町××番地先路上において、片側二車線の直線道路の中央寄り車線を進行中、前方車両が渋滞のために減速しているのを認め、左側車線に進路変更しようとした際、同渋滞車両を見ながら進行し、左前方の安全確認を怠ったため、左側車線の前方に停止していた被害車両に気付くのが遅れ、追突し、被害車両を運転していたE子に対し、加療約1週間を要する頸椎捻挫の傷害を負わせた
第3 少年は、平成12年6月29日午後10時34分ころ、金沢市○□町×丁目××番×号所在の□○店前歩道上において、○□町スクランブル交差点で信号待ちしていたF(当時47歳)に対し、肩が触れたと因縁を付け、いきなり同所で同人の顔面を手拳で数回殴打し、足蹴り等の暴行を加えた後、被害者が同所から金沢市○□町×丁目××番×号所在の△□ビル1階エレベーターホールまで逃げたのを追い掛け、更に同所において同人の顔面、頭部を手拳で十数回殴打し、足蹴り十数回等の暴行を加え、よって同人に約2週間の加療を要する頭部、顔面打撲、鼻骨骨折、鼻出血の傷害を負わせた
ものである。」
というものであり、一件記録によれば、上記各事実を認めることができる(以下それぞれ「第1事件」、「第2事件」、「第3事件」といい、これらを合わせて「本件各事件」という。)
2 少年は、第3事件で、平成12年6月29日現行犯逮捕され、同年7月1日代用監獄に勾留されたものであるが、逮捕当初から留置場内で精神異常が疑われる暴言や暴行を繰り返し、自傷他害のおそれがあり、留置に著しい支障を生じたため、検察官から石川県知事に対し、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律25条の通報がなされ、指定医による強制入院が必要である旨の診察結果を受けて、同月3日同法29条1項の入院措置がとられ、石川県指定精神病院△△病院(以下「△△病院」という。)において入院治療を受けた結果、同年8月14日同法29条の4第1項により上記措置が解除され、以後通院治療を継続している。
入院治療中の同年7月11日に第2事件が、同月31日に第3事件が、入院措置が解除された後の同年9月5日に第1事件が、それぞれ送致されて当裁判所に係属し、第1事件については、責任能力がないに等しく刑事責任は問い難いと思料され、審判不開始が相当である旨の検察官意見が付されている。
そこで、本件各事件当時における少年の責任能力の有無について、以下検討する。
3 少年の当審判廷における供述、第1事件における少年の司法警察員に対する平成12年8月17日付け供述調書(6丁のもの)及び第3事件における少年の司法警察員に対する同年6月30日付け供述調書、保護者D・Y子及び証人Gの当審判廷における各供述及び同人らの司法警察員に対する各供述調書、第3事件における司法警察員作成の平成12年6月12日付け(謄本)、同月29日付け(H作成)、同月30日付け(I作成の1丁のもの)及び同年7月3日付け(2通)各捜査報告書によれば、次の各事実が認められる。
(1) 少年は、高校2年に在学中の平成10年1月21日、人混みの中に行きたくない、気分が憂鬱である、学校に行けない、生活が昼夜逆転していることなどを訴えて、△△病院を受診し、不安抑うつ気分を伴う適応障害と診断され、抗うつ剤を処方してもらっていたが、その服用を嫌がり、同年3月3日を最後に受診を中断した。
(2) 平成11年4月には□△大学に入学したものの、再び自信欠如、不登校、意欲の減退、抑うつ気分、誰かに悪口を言われているので人混みの中に出るのが嫌だという注察念慮を訴えるようになり、同月12日、△△病院を再度受診したところ、うつ状態と診断され、少年が通院を止める同年10月16日まで、1、2週間に1回の割合で薬物療法と精神療法による通院治療が施された。
(3) 少年のうつ症状は平成11年1月ころから次第に快方に向かい、平成12年1月には肉屋でアルバイトを始め、同年4月からは再び大学に通うようになったが、このころから知らない人に積極的に話しかけて友達作りに励んだり、サーフィンし始めたり、更には、1か月のガソリン代が5、6万円にのぼるほど寝る間を惜しんでドライブに出掛けたり、同年5月17日には25キロ未満の指定速度違反を起こすなど、活動的であるという範囲を超えて、抑制を欠いた言動が見受けられるようになった。
(4) 同月23日、少年は、大学の食堂で、友人でもない者から坊主頭にした理由などをしつこく聞かれたことに立腹し、椅子を振り上げ、鉄パイプを持ち出して、周りから力づくで制止されるまで相手を殴り続けるという暴力事件を起こし、停学処分を受けた。
少年の母親は、この件について、少年の担当教授から、入学した頃とは全然人が違っており、様子がおかしい、躁状態だと思われる、早く医者に診せた方がよい旨の連絡を受けている。
(5) このころ少年は、知人の紹介だと言って、アルバイト先を深夜営業の水商売の店に変え、夜になっても家に帰らず、その後暴力団と知り合って、指定暴力団○○組の組員となり、C’ことCの舎弟となって、同年6月8日、第1事件を起こした。
(6) 同月11日、少年は午前3時ころ家に帰ってくるや、アパートを見付けたから一人立ちすると言って、荷物をまとめて家を出、その日の午後9時15分ころ、信号待ちで停車中の車を蹴って、その運転者の顔面等を殴った挙げ句、金員を要求し、断られるや、さらに暴行を加えて逃走した。
(7) 同月13日、少年は第2事件を起こし、その前後にも車のエンジンを空ぶかしして煙をあげたり、車を鉄塔にぶつけたりといった事故を起こした。
(8) 同月15日には、第2事件の被害者方へ見舞いに行く際に少年の服装を改めさせようとした母親の言葉に激昂し、店先で大声でわめく騒ぎを起こしたばかりか、結婚して会社を興すといった現実味のない理由で退学届を大学に提出し、その上、自車を追い越したバイクを追い掛けて、その運転者を殴る暴力事件を起こした。
(9) 同月11日に家を出た後も、少年は一日一回、家に帰ってきては、夜中に大声で騒ぎ、食事や小遣いを要求し、「俺のバックには巨大な力がある。」、「□△大なんか直ぐにぶっ潰すことができる。」といったことを口にしたり、さらには母親の勤め先や、父親の兄の携帯電話に「ぶっ殺してやる。家に火ぃ付けたる。」といった電話を掛けてくることが続いていたところ、同月29日、第3事件を起こして現行犯逮捕され、前記2記載の経緯を経て、同年7月3日、△△病院に措置入院となった。
(10) 措置入院当初、少年は、多弁、多動、攻撃的かつ易怒的で、脅迫めいた暴言や暴力、さらには、壁が迫ってくるという幻覚や悪口を言われているという被害妄想も見られるなど、精神的にも肉体的にも非常に興奮した状態に陥っており、躁うつ病のかなり重症な躁状態にあることが認められた。
4 前記3で認定した各事実並びに証人Gの当審判廷における供述及び同人の司法警察員に対する各供述調書によれば、少年の精神状態の推移は以下のとおりであったことが認められる。
すなわち、少年は、平成12年4月ころに躁うつ病の躁状態を発症し、そのころは軽症の躁状態であったところが、次第に症状を悪化させ、制止されるまで一方的に暴力を振るい続ける事件を起こした同年5月23日には、既に重篤な躁状態に陥っており、行動の是非善悪を判断し、それに従って行動する能力を全く欠いた状態にあったということができる。そして、同日以降措置入院時までの約1か月余りの間、少年は、本件各事件を含めて暴力事件や自動車事故等を頻発させ、抑制を欠いた言動を繰り返しており、躁うつ病自体は自然治癒が可能な病気であるとはいえ、一旦、暴力や幻覚を伴う重篤な躁状態に陥った患者が軽症の躁状態にまで快復するには、少なくとも3か月ないし半年程度の期間を要することに鑑みれば、少年の精神状態は、同年5月23日以降措置入院時まで、引き続き重篤な躁状態にあり、行為の是非善悪を弁識し、それにしたがって行動する能力を全く欠いた心神喪失状態にあったと解するのが相当である。
してみれば、本件各事件当時の少年の精神状態もまた心神喪失の状態にあったというべきである。
5 なお、少年は当審判廷において、第1事件について、了解可能な動機と、自らがとった行動を比較的具体的に述べ、少年の司法警察員に対する平成12年8月17日付け供述調書(9丁のもの)にもこれと同様の供述部分がある。
しかし、少年は、措置入院時の電気痙攣療法によって記憶の一部を欠落した状態にあり、退院後に取調べを受けた少年は、既に共犯者の取調べによって事件の概要を把握していた捜査官から、事件の契機や内容についての説明を受け、その影響を受けて記憶の欠落部分を補い、自らの行動に合理的な説明を後付けした可能性を否定できない。また、記憶が鮮明であることが、当時の精神状態として、行動の是非を弁別し、行動を制御できる状態にあったことと直ちに結びつくものでもない。
してみれば、前記証拠によっても、4で認定した結論は左右されない。
6 以上のとおり、少年は、第1ないし第3の各事件当時、躁うつ病による精神障害のため、きわめて攻撃的で、易怒的な症状を呈する重度の躁状態にあって、行為の是非を弁別し、かつその弁別にしたがって行動を制御することのできる能力を欠いていたと認めるのが相当であり、本件は、いずれも心神喪失者の行為として犯罪とならず、少年には非行がなかったことになる。
よって、本件各事件については少年法23条2項により少年を保護処分に付さないこととし、主文のとおり決定する。
(裁判官 上田賀代)